最近のお気に入り

電車に向かう時
前の人にならって改札に向かって
ケータイを少しふわっと浮かせながら
Suicaをピッとさせる
この改札を通過するこの時間は
焦ってはいけない
止まってはいけない
呼吸もなるべく最小限にして
できるだけ力を抜いて
スマートに過ごさなさければならない
ピっと音がなった
今日も定期券内
決められた区域を往復する
ピピっと音がなる日もある
今日は定期券内から抜け出した
きっと会いたい人に会った帰りである
Suicaの金額が減って、残高が目に入る
前の男の人は¥12,000くらいの残高だった
¥30,000くらいの人もいた
私のSuicaは
いつも¥33くらいをさまよっている
こういう時、
いつも私はギリギリを生きているなと
私のことを少しだけ誇りに思う
少し、と書いたのは
同時に引け目も感じているからだ
全て受け入れることができず
今見ているのは片方だけなのかもしれない、
もっともっと広いのかもしれないと
勝手に目の前の光景に対して
いろいろな方角の可能性を生み出してしまう
ただ、目の前の人にぞろぞろとついて行く
あ、Suicaの話に戻ります
改札を通り抜けるまでの空間には
スタスタとしたリズムが流れている
どこか平然とした様子で
流れについていかないと
リズムが崩れて溺れてしまいそうになる
私の生まれは富山県で
富山の人は
ついていきなさいと言わずに
つんだってこう、と言う
勉強しなさいと言わずに
勉強しられ、という
食べなさいと言わずに
食べよう、という
これはあくまで感じ方の問題ですが
富山の方言には
どこか相手に委ねる優しさと
無関心さと無頓着さがあると思う
投げることもなく、ただ方向は相手に向けて
受け渡すような言葉から流れる音が
心地良いなと思う
きっと私は常に
目の前にいる誰かに対して
無関心で無頓着なのかもしれない
無であることと、呆む(あわれ)ことは
どこか似ていると思っていて
攻撃的な視線や言葉を浴びるときような
そういった直接的な何かではなく
逆剥けがひりっとめくれて
じりじりとした痛みが背中を走るような
目には見えない寒さがあると思う
それなので目の前にいる君のことを
無関心になるわけがないと頷きながら
気づいたら違うことを考えている私のことを
幻滅した目で見ながら抱きしめる
どこかで無関心になっている私が
顔を出していないか不安になりながら
私はきっと無関心
全てを抱きしめられたらいい
全て嫌いになれたらいい
でも両方あってもいいと思った








