最近のお気に入り

悲しいとか辛い、苦しいみたいな

自分の「嫌」って

口にしたり文字に起こすことはできるけど

きっとそんな

わかりやすいものではなくて

もっと、

いきなりばっとやってきて、

さっと消え去るような

わかりにくいものなのかなと思う

いきなりばっとやってきたものと

急に2人きりになる

とりあえず、

残された言葉ひとつひとつと向き合ってみて

うーんうーんと

私には何ができるのかを考えて

ぐるぐるとしながら

足を動かし続けてみる

間違った方向に行ってしまうことよりも

何もせず進まずのままになってしまっていることの方が怖いと思う

いきなり、

ばっとやってきて、

さっと消え去ったそれに対して

まだ自分の嫌なものだと認識できてない

悲しむべきなのか

怒りに満ち溢れるべきなのか

そのあたりの感情の取り扱いが

最近はよくわからないなと思う

きっと悲しいなと

思ってもいいことなのだけど

どうやって悲しんだらいいのか

難しいなと思う

またはきっと

怒ってしまえばいいのだけど

怒るって何かわからないし

どうすればいいんだろうと思う

悲しみや怒りみたいな気持ちは

私の中でゆっくり動いている生き物で

ゆっくり考えて考えて

やっと顔を出すようなものに近い

だからすぐにはやってこないし
あまり顔を出す結果にならないことが多い

多分、感情の種類から

排除してしまっている気がする

好きには敏感なのに、嫌には鈍感だ

でもそれは世界に

「しょうがない」が

いっぱいだからだと思う

悲しみや怒りはきっと

「しょうがない」から始まっていると思う

とか思っているので

嫌いな食べ物も食べられるようになった

好きかもしれないと思うこともあった

なぜか自分の中で

物事は

調理してみたり

対話してみたりしたら

初めはとがっていたものが

ほどけて

溶けて

柔らかくなっていくものという

原理が自然に存在していて

だからきっと

悲しむことや怒ることなんて

必要ないのではないかなと思っていた

でもほどけて、溶けて、柔らかくなっても

噛むたびに味は広がって

嫌いなものはそのまま残っていた

しょうがないは

完全になくすことはできないけど

小さく分けて

ちょっとずつ受け取っていくことならできる

でもここまできて

何か自分では

消化しきれない何かが残っていたので

スマホをピッタリと耳にくっつけて

待つことにした

数秒たって

「もしもし〜」と聞こえたので

「うん」と答える

「仕事帰り?」と聞かれたので

「うん」と答える

「今日は遅い日か〜」と聞こえたので

「うん」と答えた

私が悲しいと知るよりも先に

小さい透明がぽろぽろ溢れ出した

多分ようやく

自分の嫌を認識できた瞬間だと知って

何だか面白くなってきて笑ってしまった

大体気づくのが遅いなと思う

皮肉にも

見ないようにしていた誰かの怒りや悲しみに触れた時

私の悲しいを認識して

徐々に受け入れることができた

まだまだ自分の嫌を

嫌として存在を認めることが

よくわからないなと思う

そんな風に自分の世界の中で

ぐるぐると考えをかき混ぜては

眺めている時に

他の誰かと世界を交換すると

私の世界は大きな世界の中の一部なんだなと思えるような気がして

ちょっと希望が生まれる気がする

文字もいいけど

うんしか言うことがないので

そういう時は電話をかけたくなる

大体よくわからない話だったりして

おばあちゃんが詩を書き始めて

書いた詩を部屋中に貼って

呪いの呪文みたいになっている話とか

賞味期限が切れてしまった卵を

ゆで卵にするかどうか

一生懸命に考えている話とか

電話をかけると

そういった耳を傾けて

静かに流していたいなと思う音が

きこえてくる

Latest Articles

  • 卵を買いたかっただけなのに

    卵を買いたかっただけなのに

  • 関心がない君を無関心になれない

    関心がない君を無関心になれない

  • お米を炊いておくことがいちばん重要

    お米を炊いておくことがいちばん重要